ミッドナイトスワンを凱旋上映で初めて観た感想。
ただのオネエが少女を預かるうちに母親の気持ちが芽生える物語と思った自分が浅はかだった。
アカデミー賞授賞式を観ていて、私は「浅田家!」の二宮和也を応援していた。
浅田家もアカデミー賞に似合う素敵な作品だった。
そして幅広い年代を演じた二宮くんも素敵な俳優だった。
だけど最優秀男優賞を授賞したのは草彅剛だった。
Twitterでは、授賞式が始まる前から、最優秀賞は草彅剛だろうと話題になっていた。
私も草彅剛がトランスジェンダーの役をした映画があることは知っていた。しかしメディアにはたまに出るくらいだった印象がある。
授賞式で映画の簡単な紹介がされる。
その時に、「あ、これは最優秀賞をとるべき作品だ」と思った。
申し訳ないが、正直浅田家!は負けたと思った。
そしてその紹介映像を見て泣きそうな自分がいた。
どうして公開当時に劇場で観なかったのだろう。
気付いたらYouTubeに上がっている100秒予告を観ていた。
9月25日公開『ミッドナイトスワン』100秒予告 - YouTube
草彅剛の演技は勿論、流れる音楽にも涙をそそられる。
そしてミッドナイトスワンは最優秀作品賞もとった。
そして私は凱旋上映で、劇場で観ることができた。
「観終わった後に立ち上がれなかった」というツイを見かけたが、まさにその通りだった。
重いと言えば重いけれど、或る意味ハッピーエンドでもあると思った。
100秒予告を観て、勝手に序盤で言った通りの感動作品だと思っていた自分が浅はかだった。
LGBT、貧困、虐待、差別…
こんなにも難しいテーマを作品にするなんて。
ただの「かたちの違う親子の話」では無いし、「差別の中で生きる人の話」でも無いし、「夢を追いかける少女の話」でも無い。
映画を観ていてこんなにも泣いたのは初めてだった。
「君の名は。」を観た時に3回程泣いたのが私の中で最高記録だったのだが、もうこの作品に関しては、“上映中ほぼずっと泣き続けている” 状態だった。
観客はおば様方が多かったのだが、あちらこちらから鼻をすする声が聞こえた。
もうメイクが取れるとか気にしてられないくらい。
マスクの中に涙が入るからハンカチを出してずっと涙を拭いていた。
こんなに簡単な言葉でしか表せない自分が情けないと思うけれど、良い作品だった。
間違いなく、私が出会えて良かったと思う映画の一つに挙げられる。
ネタバレあり 感想
一果ちゃんを短期間引き取ることになった凪沙が段々と母親の顔、仕草になっていく姿に心が打たれる。
最初は「私、子ども嫌いなの」と言っていた凪沙だったが、次第に子どもが好きになったと思わせるシーンが。
外で見かけた子どもの目線に合わせてしゃがんでボールを渡し優しく微笑む凪沙。
その子どもはさっきまで叱ってきた母親の元に「ママ〜」と寄っていく。
母親は笑顔で「帰る?」と。
変わったのは凪沙だけではなく一果も。
最初は無口で笑いもしなかった彼女が、凪沙の部屋を片付けた日。
凪沙は「何これ?」と言う。一果は何も言わずすぐに寝る。
段々と髪も服も綺麗になり、りんちゃんに「かわったね」と言われる。
この髪と服の話になるが、最初は広島の学校の制服を着ていた一果がある日から転校先の制服になったところも、髪が綺麗にまとまったところも、彼女自信の気持ちの変化があったのかもしれないが、凪沙が必死に貯めていたお金を一果に使ってあげ、髪を梳かしてあげていたのかもしれないとも思わせる。現にコンクールの休憩時間に凪沙が一果の髪を梳かしていた。その時の凪沙の表情は誰が見ても母親そのものだった。
一果のバレエの才能に気付き、応援しようとソープ嬢に挑戦したり男性の姿に戻ってまで転職したりする凪沙。
それは一果からすると本当の母親と重なってしまったのかもしれないし、凪沙に自分らしく生きて欲しかったのかもしれない。
自傷行為や体を売る手前のバイトをしていた一果に対して「もっと自分を大切にしなさい」と叱った凪沙のシーンで一番泣いた。
きっと一果は今までそのような事を言われたことが無かっただろう。
一果は凪沙と出会って人生が変わったのだ。
一果役の服部樹咲ちゃんは新人女優だが、その素人らしさがよりこの作品を生々しくしていると思う。そしてバレエが美しい。
人ってこんなに変わるんだ と思わせてくれる。
結局実の母親の元で過ごすことになった一果だが、凪沙が取り返しに来てから母親は改心したのか、中学卒業時には元気にバレエを続け、母親も丸くなっていた。
序盤で酔った母親が一果に暴力を振るった後に「ごめんね」と優しい口調で話しかけるシーンがあった。これがよく聞くDVのアメとムチなのか?と思ったが、母親も母親なりに一果に対する優しさと申し訳なさがあったのだろう。
一果のコンクールの時にも感じたが、やはり実の母親には勝てないのだろうか。
この映画の終盤には、一果が凪沙のことを「お母さん」と呼ぶのだろうかと思っていたが、最期まで凪沙のことを呼ぶシーンは出てこなかった。
一方で個人的に気になったのは、バレエ教室で知り合ったりんちゃんだ。
彼女はお金持ちで両親も優しく、バレエの才能もそれなりにあり将来も安泰。貧乏の私から見るとまさに「羨ましい裕福な娘」である。
しかし、両親は優しいが本当の娘を見ていない。
怪我によりバレエを奪われた彼女のことを母親は「この子からバレエをとったら何も無い」と言う。
そうかもしれないけれど、りんちゃんが欲しかった言葉はそれなのか?
彼女は次第に心が荒れていく。
映画の序盤の一果と終盤のりんちゃんは似ていた。序盤のりんちゃんと一果は似ていた。
彼女の自殺シーンの演出は、惨いほどに美しかった。
ステージで衣装を身にまとい、輝いて踊る一果には未来がある。
傍から見ると恵まれていて何不自由ない生活を送っているように感じられるりんは、生きる意味を探していた。
りんちゃんも、凪沙のような母親の元に生まれていたら…なんて考えてしまう。
私なんて、「結局この世は金」と思ってしまっているが、お金があっても幸せとは限らないのだなと改めて感じた。
彼女が飛び立つ時、パーティー会場には沢山の人がいたのに、両親もそばに居たのに、誰も見ていなかった。
彼女は孤独だったのだろう。
そんな友達を亡くした一果もまた、心に傷を負い、凪沙の死によりまた傷を負い…
死の道を選ぶのは、納得してしまう。
けれども、彼女は生きていた。
ラストシーンで舞台に向かう一果は、凪沙の服を着ている。
舞台袖で「見ていて」と言い、白鳥の湖を踊る。
回想シーンはバレエを始めた頃。凪沙の顔。短期間の2人での生活。
彼女の中で、バレエを応援してくれた凪沙は間違いなく大切な存在だったのだろう。
エンドロールでも涙が止まらないのに、最後の最後に踊る一果と凪沙のツーショットが出てきてもう、今この文章を書いていても涙が出てくる。
こんなに苦しい話なのに、観終わったあとは「もっと生きよう。不器用でも生きよう」と思わせてくれる、そんな作品だった。出会えて良かった。凪沙は一果の母親でした。